アーサナとは

 

【①ヴィヴェーカーナンダ189頁】

「姿勢は,確固とした,そして快適なものである」

「自然の傾向を減らし,無限なるものを瞑想することによって,姿勢は安定し,快適になる」

 

(解説部位より)

「座の安定とは,あなたがまったく肉体を感じない,ということである」

 

【②佐保田110頁】

「坐り方は,安定した,快適なものでなければならない」

「そのような坐り方は,緊張をゆるめ,心を無辺なものへ合一させることによって得られる」

 

(解説部位より)

心を無辺なものへ合一させるとは,例えば虚空のような無辺のものへ思いを沈潜させて心がそれと合体したような境地になることをいう」

 

【③メーレ164頁】

「アーサナは安定していて,なおかつゆったりしたものでなければならない」

「アーサナの確立は,努力がやみ,無限への瞑想によって得られる」

 

 (解説部位より)

「アーサナを安定させるためには努力が必要である。」「一方,ゆったりしているとは,リラックス,柔らかさ,努力が存在しないことを示唆している。これら2つの相反する方向に同時に向かわなくては,アーサナを達成することはできないと,ここですでにパタンジャリは示しているのである」

「努力している限り真のアーサナにはなっていないことが示唆されている」「自己受容の気づきを訓練することで手足が正しい位置にくれば,努力は突然やむのである。」「シャンカラが言っているように,この瞑想は,人口的な努力をしなくても自然におこるものである」

 

【⑦ヴィディヤーランカール128頁】

「アーサナは,安定し快適で(あるべきである)」

「(安定し快適なヨーガのアーサナは)努力を緩和して,無限なるものを瞑想することで達成される」

 

(解説部位より)

「我々が心の作用の停止状態に向けて進み始める場合,まずなすべき最初の第一歩は,自分の肉体と心と脳の中で起きている一切のことに対し超然たる傍観者になることです。もしわれわれがそうした態度で臨むと,自分が肉体の為していることの真の行為者でないことが分かってきます。」「アーサナをしている時は,自分の意図的な努力を緩め,肉体をその中に潜む内的力によって導くがままにしておくべきなのです」

 

 

【私見】

メーレとヴィディヤーランカール氏の見解は示唆に富んでいます。実際,正しくアーサナをとると,余分な力が抜けてきて,長時間その姿勢を保持できるようになります。それを蓮華座で行うと,まさにザ・瞑想になります。

心の波を鎮めようというときに,何らかの努力をする方向性はおかしいはずです。努力自体が,心の波をひき起こすからです。

 

意図的な努力がやむような,安定して快適な姿勢,ということでよろしいと思います。

 

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