プラティヤハーラとは

 プラティヤハーラは,それについて分量をさいて実際のやり方を説明している本は,ない。

 

 

【①ヴィヴェーカーナンダ192頁)

「諸器官を内にひっこめる,ということは,それらが,それらの対象をすてて,いわば心という形をとる,ということである」

 

【②佐保田113頁】

「制感とは,諸感官が,それぞれの対象と結びつかない結果,まるで心自体の模造品のようになった状態をいう」

 

(解説部位より)

制感(プラチャーハラ)とは,諸感官をその対象から手もとへ引き戻す,或いは感官が対象へ向って動こうとするのを引き止めるという意味である」

 

【③メーレ177頁】

「心が外側から引き寄せられれば,その時感覚はそれに追随し,感覚の対象となるものから離れる。これがプラティヤハーラである」

 

【④サッチダナンダ268頁】

「諸感覚がその対象から自らを撤退させ,いわば心そのものを模倣するとき,それがプラティアハーラ(制感)である」

 

(解説部位より)

「心が感覚対象から引っ込むと,感覚器官もそれぞれの対象から退く。そしてそのことが”心を模倣する”と言われるのである。」

 

【⑦ヴィディヤーランカール135頁】

「プラティヤハーラとは,感覚器官がその対象に結びつくことをなくすことで,個人意識それ自体が働くような形をとることである」

 

(解説部位より)

「感官撤退の実習とは,感官をその対象から切り離すことにあります」

 

【私見】

どれもこれも,意味不明である。

五感を無視してそれ以外の何かに集中するということなのか。

痛かったら痛いのを我慢するとか無視するのがプラティヤハーラなのか?

 

ヒントは,「心が本来の形をとる」というような示唆である。つまり,通常は,本来の形をとっていないことになる。

 

サマーディに至った日本のヨガマスター,曹洞宗開祖の道元は,坐禅する際,「諸縁を方捨し,万事休息すべし。善悪を思わず,是非を管かんすることなかれ。心意識の運転を停め、念想観の測量を止めて、作仏を図はかることなかれ。」と言った。

 

これにならって,プラティヤハーラとは,判断や分析,心のコントロールを停止すること,と意訳したい。肉体の努力がやみ,呼吸が停止している今,精神面の動きや努力も停止されるべきである。入ってきた感覚について,心というより頭の,知的な活動をやめるとき,本当の瞑想にはいるのである。

 

 そして,ディヤーナとは,それが厳密に達成されたとき,つまり0.1%も心をコントロールしないとき,もはや向かうべき対象がないとき,まさに心が本来の形をとるときに達成されるものであると思う。

 

 

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